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スマホアプリ「コインパズル」開発者の日記https://bit.ly/35gpWAB

回顧録3〜取材されました〜

トキワ荘に引っ越した。
バイト先から借りたトラックで3往復くらいして、明け方までかかったが、何とか荷物を運び込んだ。
 
引っ越し当日にM氏から連絡があって、バンキシャと言う番組が夢見る若者を取材したい、と言う事だったので、別に良いですよ、と言った。
その日から、私に3ヶ月くらい、テレビの記者さんが張り付く事になった。
飯時も漫画を描く時も、寝るまでずっとカメラが回っている生活だった。
取材されるのは私と同居人のA君だった。
他の同居人にも頼んだ様だが、テレビに出ても良い、などというバカは私とA君だけだった。
 
その時「アントクヒトウム」と言う作品を描いていた。
アントクアリウム、なるアリを飼う事ができるキットがあって、それにヒントを得て描いた漫画だった。
人間がアリの様に飼われて、神からずっと監視されている、と言うストーリーである。
最後は主人公がその檻を出ていくと、実は主人公はアリで、人間が監視していた、と言うオチの話だった。
 
それを描く所をずっと取材されていた。
時々インタビューを受け、自信と野心を剥き出しにすると、放映時に勝手にビッグマウスというあだ名を付けられた。
流石テレビ、取材者には媚びる癖に、放送する時は容赦無いのだ。
その何も知らないアホなビッグマウスが、「アントクヒトウム」を同じく講談社に持ち込み、前回も見せたアフタヌーンの洒脱な編集者に見せる。
私はテレビの記者に、いや全国の人々に一泡吹かせてやるつもりだった。
しかし、泡を吹いたのは自分であった。
前回、あまり厳しいことを言わなかった編集者は、今回に限り私の漫画をボロクソに言った。
カメラが回っていると何故か厳しかった。
単純に今回の作品が、酷かったのかも知れない。
元来打たれ強い無神経な私も、今回ばかりは参った。
私は、全国に向けて恥を晒すことに恐怖した。
 
それから、同居人のA君は撮影なかばで取材班と揉めて、取材を断った。
恐らく、私の惨状を見ての賢い行動であったのだろう。
群像劇にしたい、とテレビのディレクターは話していたので、これで取材はお釈迦かな、と思ったが、甘かった。
なんと、私1人のドキュメンタリーになってしまったのだ。
 
その後は、「ブーメランリバー」と言う作品を描いた。
川で、人生に行き詰まった男が、対岸に向かって男が石を投げている。
気がついたら投げた石が自分に跳ね返って来る。
向こう岸がどうなっているのか気になって、川に飛び込んで自分が対岸に向かって泳いでいくと、どんどん若返って、高校生まで戻る。
若返って川の向こうから対岸を眺めて、自分の将来を考える、と言う話しだった。
その漫画の背景資料を撮るために、多摩川に撮影に行ったのだが、それにもカメラが同行した。
 
その作品は「アックス」と言う雑誌に持ち込んだ。
少し褒められたが、ウチの雑誌では厳しいと言われた。
ディレクターは話として成立したと判断したのか、カメラに追われる日々はそれで終わりとなった。