私が漫画を描くのは2作目だった。
1作目は高校1年生の時に描いた「熊オヤジ」と言う作品で、失踪した父を捜した末、山奥で熊狩りをして生計を立てる父と再会する、と言う謎な話だった。
それはジャンプに応募したが、見事落選した。
その2作目「アンチユーグリッドワールド」を持って、講談社の雑誌「アフタヌーン」へと持ち込む事にした。
当時「四季賞」なる漫画の賞が私には輝いて見えたのである。
ジャンプの様に大衆に迎合せず、文化的で分かる奴には分かる、そんな賞だと思っていた。
いつぞや襲撃されたせいで、警備員も立っていた。
出て来た編集者は洒脱な都会人と言う感じだった。
漫画を見せると、困った様な顔をしていた。
訳が分らなかったのだと思う。
否定すると面倒な若者だとバレたのか、煙にまかれた様な対応だった。
特に何の収穫も無く、巨大なビルを後にした。
その後、小学館にも持ち込んだが綺麗目の女性編集者に
「鼻に付く」
と言われた。
持ち込みをしたのは大学を卒業した直後の2007年の4月。
「オレの漫画の良さが分からないヤツはバカだ」
多分そう思っていたから、あまり凹まなかったのだと思う。
大学生でも何者でもなくなった事については不安とともに、カッコ良いと思っていた。