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スマホアプリ「コインパズル」開発者の日記https://bit.ly/35gpWAB

回顧録2〜はじめての持ち込み〜

私が漫画を描くのは2作目だった。

1作目は高校1年生の時に描いた「熊オヤジ」と言う作品で、失踪した父を捜した末、山奥で熊狩りをして生計を立てる父と再会する、と言う謎な話だった。

それはジャンプに応募したが、見事落選した。

 

その2作目「アンチユーグリッドワールド」を持って、講談社の雑誌「アフタヌーン」へと持ち込む事にした。

当時「四季賞」なる漫画の賞が私には輝いて見えたのである。

ジャンプの様に大衆に迎合せず、文化的で分かる奴には分かる、そんな賞だと思っていた。

護国寺にある講談社は、何よりもデカくて、威圧的に見えた。

いつぞや襲撃されたせいで、警備員も立っていた。

 

 

出て来た編集者は洒脱な都会人と言う感じだった。

漫画を見せると、困った様な顔をしていた。

訳が分らなかったのだと思う。

否定すると面倒な若者だとバレたのか、煙にまかれた様な対応だった。

特に何の収穫も無く、巨大なビルを後にした。

 

その後、小学館にも持ち込んだが綺麗目の女性編集者に

「鼻に付く」

と言われた。

 

持ち込みをしたのは大学を卒業した直後の2007年の4月。

「オレの漫画の良さが分からないヤツはバカだ」

多分そう思っていたから、あまり凹まなかったのだと思う。

大学生でも何者でもなくなった事については不安とともに、カッコ良いと思っていた。