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スマホアプリ「コインパズル」開発者の日記https://bit.ly/35gpWAB

1Q84

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 3

1Q84 BOOK 3

ぬふふふ。。
ついに読んだのですよ!ついに!!




完全にネタバレしますので、読んだ方のみ、どうぞ。



































☆☆☆
今まで読んだ小説の中で、一番面白い小説でした。
1巻を読んだあたりからスイッチが入り、後は一瞬で読み終わりました。
その面白さは、ドラゴンボールとか、20世紀少年とか、割とそう言う物に近かった気がしています。
話は、1984年の日本。しかし、ひょんな事から主人公達は別世界に迷い込んでしまいます。
別世界、そう、月が2つある世界です。
そこにはリトルピープルと言うよくわからないけど、とても悪い七人の小人の様な奴らがいて、それとの戦いを描いています。
しかし、リトルピープルがなんなのか、最後まで分りません。
分る人には分るのでしょうが。


この話のよくできているところの一つとして、主人公達のある種社会通念とズレた性的嗜好が、はじめは当たり前の様に描かれている所だと思います。
そのズレが少しずつ理由が明かされ、読者は成る程、と深く入って行きます。
もちろん、性描写も多く現れます。
普通の感覚では、この小説は恥ずかしくて描けないと思います。
春樹さんの性に対する、羞恥心の少なさ、と言う物がこの作品を成立させている様に思います。


日本のかつての文豪はそうでは無かった様に認識しています。
太宰治芥川龍之介の濃密な性描写、なかったです。。よね??(あったらすみません。。)
そもそも何故照れる必用がある、と思わされてしまう程です。
そう言う点も、ある種とても挑戦的な作品なんだと思います。


。。とまあ、そんな話しは置いといて。
おそらくこの「リトルピープル」について、既に巷では沢山の議論がなされていると思います。
それこそが、春樹さんが望んでいる事の様にも思います。
昔、束芋と言うアーティストさんが「作品は鑑賞者の思いを入れる器」だと言っていたのを思い出します。
リトルピープルの解釈は、凄く自由なものだと思うと言うことです。


マザやドウタも同様です。
マザは自分、ドウタは言うなればドッペルゲンガーです。
要するに自分のコピーロボットです。
ドウタは自分の影の存在だそうです。
これも、いろいろな解釈があると思います。


ボクは、このリトルピープルやマザやドウタを何にも置き換えない事にしました。
置き換えて分りやすくするのは、作品のある一方向からの解釈だと思うからです。
何にも置き換えなくても、ボクの心の中には大きな何かが残っているし、それで十分すぎる思うからです。
抽象絵画も、音楽と同じ様に、理解できなくても何かが残る物だと思います。


先日、映画を撮っていた時の先輩が「抽象的なものを描く時程、細部まで忠実に描かなければならない」と言っていたのを、この小説を読みながらずっと考えていました。
この小説は読者の思いもよらない物体が次々と出てきます。
しかし、リアリティーは補償されているのです。
「何言ってんだ?」
とはなりません。
それは、その訳の分らない物体の細かい部分まで丹念に描いていたからだと思います。
また、伏線も忘れません。
主人公、天吾の父親がアルツハイマーで昏睡状態にある時、主人公は病院で父親の側にいます。
しかし、主人公の同居人、「ふかえり」から連絡があり、家にNHKの集金人が来た、と言うのです。
読者は一瞬でこれが父親の幻影、もしくはドウタである事を察知します。
それまでの長い蓄積のせいです。
主人公の父はずっとNHKの集金人をやっていて、これが伏線となり、その正体が分るのです。
これは凄い事です。
非現実であるにも関わらず、筆者の描こうとする事が先に見えてしまう。
ストーリテラーとしての力量を感じずにはいられませんでした。


にしても、一点だけ、どうしても一点だけ、解せない所がありました。
牛河と言うとても気持ちの悪い男がいます。
ある種意識的に、春樹さんは彼に読者を感情移入させます。
ボクも彼の事が好きになりました。
醜い容姿にもかかわらず、懸命に自分が社会の中でやれる事に勤しむ彼。
それは、犯罪に近い物でありつつも、読者の共感を呼ぶ物でありました。
そんな頑張った彼。それだけ頑張った彼を。。

タマルと言うゲイが拷問の挙句、殺すのであります。
このシーンは何と言うか、報われなすぎる物でありました。
この読者の「何で!?」と言う気持ちは恐らく意図されたものでありましょう。
その後、殺された牛河の功績もあって、むしろそのお陰で、主人公達2人、天吾と青豆はめでたくくっつきます。
ここは、敢えて何かに当てはめて解釈させてもらうと、多大な無慈悲な犠牲の上に成り立つ現代社会の勝ち組、と言うかそんな感じなんでしょうか。
牛河。。ボクは自分がアウトローであるだけに、牛河に肩入れせずにはいれません。。


個人的には、春樹先生のいつもの読後感とは大分違ったと言うか、まだ終わってない感じがするので、続編は十分にありえると思っています。。
頼むから牛河をなんか、報われる感じにして欲しいと。。
天吾と青豆の子供が牛河のドウタだった。と言うのが最高ですね(爆)


もう一つ勝手な解釈を入れさせて頂くと、牛河はBook2迄は完全な悪役なんですね。
でBook3から牛河視点も加わると言う驚きの作りになっているんですよ。
「お前視点かよ!?」と突っ込みたくなる。
しかし、これを読んで行くうちに、牛河。。やむなし。。この人生、やむなし。。
みたいな気分になって来る訳です。
つまり、どういう悪人にも、どうしようもない理由があって、悪人の視点に立つと、意外に善人だったりする、、って言う。
あれ?コレは去年の大ヒット映画、「悪人」のテーマの1つでは??
つまりですね、1Q84と言う器はそう言うテーマが入りそうな形をしてると思うんですね。
その中にテーマを盛るのは読者自身な訳ですが。


ここで、絶対にやってはいけない、1Q84の映画化について書かせて頂き、終わりにしたいと思います。
自己満足ですが、小説を読みながら、このキャラはこの役者だな。。と思いながら読んでいました。

☆☆☆
天吾 伊藤英明(を若干太くする)
青豆 黒木メイサ(を若干面長にする)
小松 大森南朋(全ての編集者の憧れ)
牛河 笹野高史(を大分悪い感じに演出する)or柄本明(を若干小さくする)
ふかえり 彗星の如く現れた新人女優

どうでしょう。。全体的に若干イケメン過ぎる気もしますが、興行的な事を考え一般的にキャスティングすれば、こうなると思うのですが。。


最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました。