プログ

スマホアプリ「コインパズル」開発者の日記https://bit.ly/35gpWAB

ヒアアフター

見てきましたー


ヒアアフターの意味はなんと「死後の世界」
クリント・イーストウッド監督もおじいちゃんになり、死後の世界が気になり始めたのかなぁと思いました
ボクなんか、死まで大分ありますが、常に死後の世界は気になっています。
孔子は、我生を知らん。いずくんぞ死を死を知らんや、(私はまだ実際の人生だって分ってない。死んでからの事を気にしても仕方ないだろ)と言ったそうですが、その発言に一石を投じた物だと思われます。
ボクに言わせれば、「死んでからの事なんか気にしてもしょうがないだろ」と言う人は、ちょっと怖がってんじゃないかな、って思いますね
それはそれで一つの思考停止なんですよね
もっと若い頃にこういう作品を作って欲しい、、とか思ったりするんですけど、若い頃は他に問題がいっぱいあって、そう言う事をテーマにするので精一杯なんですかね


イーストウッド監督は、ボクは徹底的な唯物論者だと思っていました。
唯物論とは、例えば橋があればそれは、橋だと。橋以上の何ものでも無いし、それ以下でも無い。と言う考え方です。
それに対する観念論は例えば橋があれば、それにいろいろ運命的な意図を付けます。
例えばその橋は、2人の人物が出会う為に存在するとか、ざっくり言ってしまうとそんな感じです。


割と唯物論、と言えば実在主義者で、目に見える物意外信じない、と言ったイメージもありますが、そんなイーストウッド監督が、死後の世界を扱うと言う事は、やはり、死後の世界はあるのかな。。と思ってしまいます。


そう言えば最近ユングの自伝を読んでいて、彼も相当のオカルトと言うか、霊とかを信じちゃう感じの人なんですけど、その彼の自伝の中に、
「一生は、私にはいつも地下茎によって生きている植物の様に思える。その本当の命は地下茎の中に隠れていて見えない。地上に見える部分が一夏だけ生き続けるに過ぎない。かくれて、それは衰えて行くつかの間の現れなのである。命と文明との果てしない興亡を考えるとき、我々は全くつまらない事と言う印象を受ける。けれども永遠の推移の下に生き、持ちこたえる何かについての感覚を私は決して失ってはいなかった。我々が見ているのは花であり、それは過ぎ去る。しかし根は変わらない。
結局、私が一生の中で話す値打ちのある出来事は、不滅の世界がこのつかのまの世界へ侵入した事である。そしてそれが、私が夢やヴィジョンを含んだ内的体験を主にお話しする理由である。」
と、ボクにとって大変興味深い一節が出てきます。


要するに、主人公達が味わう臨死体験ユングの言う不変の世界なのではないかな、と思ったりしました。
そう言えば、1Q84でも、青豆達は人を殺す事を「アチラ側へ送る」と表現します。
村上春樹さんも、死後を、この映画の言葉を借りて言うと「電気が消えて真っ暗」だとは思っていないと言う事だと思います。


しかし、この様な映画の欠点として、リアリティーを補償するため、決して死後の世界には入り込めないんですよね。
死後の世界に入り込むと、それこそ「幽遊白書」みたいな漫画になってしまって、映画的ではないので、それはできないと言うか。。
結局、死後の世界を描く場合、中に切り込むと言うよりは、その輪郭を縁取る事でしか、それを描けないんだと思います。
だから死後の世界を伝えようとしても伝わらない葛藤、とかにドラマとしての焦点を当てざるを得ないのかな、と思います


ここは死後の世界はこうだ!と言う仮説を立てて、切り込んでいくしかないと思うんですよね
時代はとにかく、宇宙の果てよりも、内的世界に向かっている気がします。
宇宙の果てが内的世界の中心と言う気もします。


それはそうと、この映画にマットデイモンが出ていた事は非常に興味深いですね
彼は、グッドウィルハンティングで脚本を務め、おそらく監督としての能力も高いのではないのかな、と思っています。
イーストウッド晩年の時期に、俳優兼監督のマットデイモンに主演を任せると言うのは、マットデイモンは、ポスト・イーストウッドの候補なんじゃないかと。。

にほんブログ村 映画ブログ 新作映画・試写会へ
にほんブログ村