- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2010/04/21
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この話は「才能」について深く考えさせられる一作。
モーツァルトを嫉妬する存在・サリエリ視点で描く事で、モーツァルトの才能を神格化する事に成功している。
アカデミー賞も獲っている。
☆☆☆以下ネタバレ☆☆☆
サリエリは宮廷音楽家として、ウィーンの皇帝に仕えている。
そこへ天才と名高いモーツァルトがやって来る。
サリエリは自分の地位を奪われるのではないかと心配し、様々な手でモーツァルトの邪魔をする。
それどころか、騙されやすい子供じみた性格のモーツァルトを騙し、作曲漬けにして過労死させてしまう。
いや、過労死「させた」かどうかは難しい問題だ。
モーツァルトは自らの意思で死ぬ程曲を作り続けた様にも見える。
サリエリは罪の意識にさいなまれて、精神病院に入ってしまう。
また、サリエリはモーツァルトを嫉妬していたが、殺意を抱く程嫉妬する必用があったのだろうか。
映画の中でサリエリはこう言う。
「神よ、何故私にモーツァルトの才能に気付く才能だけを与え、才能そのものを与えなかったのだ」
ボクはサリエリのこの性格が悲しい。
何故、そのモーツァルトの圧倒的才能に気付きつつも、その才能に挑戦しようと思わなかったのか。
サリエリだって、音楽の都、ウィーンの皇帝に認められる程の才能を持っていたのだ。
それだけのモノを持っていながら、何故・・・
才能は、相対的な物だと思っている。
レオナルド・ダビンチの才能が1億でボクの才能が1だとしても、やはり握力等と同じく、筋力トレーニング的なモノによって鍛えていける。
そして1が2になり、20になり、ある日100を超えた瞬間に「才能あるよ!」とか言われたりする。
人を感動させる作業と言うのは、おそらく人の感動ボタンを同時押しする作業なんじゃないかと思う。
4つ同時押し、くらいじゃ何とも思わないけど、5つ同時押しになった瞬間、急に「感動!!」ってなるんじゃないか。
それは、欽ちゃんの仮装大賞のあのバーの如く、感動のバーを超えられるか、そうでないかは、それくらい紙一重なんじゃないかと、いつも思うのだ。
だからサリエリにも、自分を卑下せず、頑張って欲しかった。
サリエリが、本当にこの映画で描かれた様な人物だったか、分からないけれど。