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スマホアプリ「コインパズル」開発者の日記https://bit.ly/35gpWAB

リア充≠幸せ

今、いろんなメディアがある。
割とFacebooktwitterはその中でもメジャーなものだと思うけど、コレが実は対極にある。
極端に言えば、Facebookは自分の充実した日常、パーティー等の様子を上げ、Twitterは愚痴を含む日常を書く。


ハレとケと言う言葉がある。
この言葉は昔から日本にある言葉で、ハレはお祭り等特別な日を意味し、ケは日常を意味する。
ハレはFacebookに上げ、ケはTwitterに書き込む、と言うのが現代日本なのだ。
不思議とこう言う棲み分けがなされている様に思う。


現在の日本は激しい競争社会である。
その中で金を稼ぐ事とともに、いかにそのお金を使うか、と言う事も重要な競争の要素である。
つまり、ウィークデーは一生懸命稼いで愚痴をTwitterで呟き(愚痴り)、休日はFacebookにパーティー写真を張り付け、勝ち誇るのである。
この傾向は特にモテる女子において顕著である様に思う。
そしてたいてい、他人はどうでも良いが自分に関してはベストショットを使っているのである。


そこで悔しいのが、現代日本において、リアル充実な奴らには、絶対にリアル充実世界で勝てないのだ。
どんなに努力しても。
顔とか、学歴とか、賢さとか、もう、アラサーとかになると、どうしようも無い。
勝てない。


そんな絶対にリア充になれない非リアに、リア充は「努力不足」と暗に言うのだ。
ココが日本人の努力至上主義の恐ろしさ。
絶対に勝てないのに、努力不足で片付けるのだ。

しかもFacebookで、皆、経済レベルに気付く。
ご飯とか載っけちゃえば、すぐ分る。
Facebookの格差見せつけ」と「努力しても勝てない努力至上主義」のコラボは、かなり辛い。


じゃあ、どうするのか。
Facebookで所謂リア充どもが勝つ姿をまざまざと見せつけられて日々を送るしか無いのか。
違う。

ここでは、見方を変えなければならない。
Facebookの人たちはよりよいサービス、よりよい商品をずっと追い続ける存在なのだ。
例えどんなに素晴らしい商品を与えても。
そしてそれをFacebookで他人に見せつけ、よい商品、サービスに興味が無い人をよい商品に食いつかせるのだ。
その、リア充は本当に満足しているか?


素敵な商品を見せつける、その一種の享楽に酔いしれているだけではなかろうか。
その享楽に溺れたら、さらなる商品を追い求めなければならない。
自分で欲望と言う火事を起こし、それを良い商品とFacebookで消すのだ。
つまり、自分を欲望と言うマイナスの環境に起き、ゼロに戻す。
プラスには行かない。


経済レベルなんか、気にしなければ、どうって事無い。
受験勉強は、山頂が決まっているので、競争は意味のある事かもしれない。
しかし人生は、山頂は無いので、他人と較べても、意味なんか無いのだ。


ココは一つ、精神の修行と思って、自慢して来る奴らはスルー、自らの生活の中に幸福アリ、と言う、割と普通の結論でどうだろう