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スマホアプリ「コインパズル」開発者の日記https://bit.ly/35gpWAB

岡田斗司夫さんについて思った事

最近、みねぴーさんに物凄いプッシュを受けて、岡田斗司夫さんをYoutubeで結構見た。
実際、言ってる事はかなり革新的で、驚かされる事ばかり。
岡田斗司夫さんのオタキングEXって会社は、社員が社長に金を払うと言う特殊なもの。所謂一緒に仕事をするオンザジョブトレーニングをしながら、成長する、と言うもの。


これは極めて宗教に近い。岡田さんは、クリエイターにもこのシステムで稼げ、と言っている。じゃあ、クリエイターは教祖か、と言うと、クリエイターのコミュニケーションを取りたいか、そうでないか、と言うところによるだろう。
やはり、漫画家の中には、家に籠ってあまり人と会いたくない、と言う人も多く、このシステムは不向きだ。


そもそも、宗教と言うのは、聖書があって、教義があって、一緒に何かをして成長するものだろう。ここで言う成長とは死後も含むものである。
つまり、死後を成長と仮定した瞬間、その団体は宗教と呼ばれる事になる。
死後の事は科学的に裏付ける事が現代では難しい。
何故なら、誰も死んだ事が無く、死んでみないと、死後の世界は本当の意味では分らないからだ。
そう言う意味で、イルミナティでは、入信時に臨死体験が行われると聞く。
つまり、一度死んで死後を体験して、現世の生き方の指針を定義され、圧倒的な信仰心を勝ち得ているのだと思う。
しかし、個人的には、これも本当の意味での死後では無い気がする。
臨死体験は、言わば体験入学であり、本当に入学してみないと学校や会社の事は分らない様に、臨死体験で本当の死後が分ったとは言いづらい。
そもそも、モルヒネの類いで臨死体験が起こった様に錯覚させられているだけかもしれない。


まぁ、何が言いたいかと言うと、死後を扱った瞬間、急に胡散臭さが増し「信じますか信じませんか」の論議になる。
つまり、死後の事を考えた瞬間、宗教の話しになるのだ。
ここまで書いて、確かにオタキングEXは死後の事を考えない、と言う意味では宗教ではないな、と思った。
では、何なのか。
儒学である。
孔子である。
子曰く「我生を知らず。いずくんぞ死を知らん哉」
とある様に、孔子は死んでからの事を考えてもしょうがないのでしっかり生きようね、と説いた。
そう言う意味で、岡田さんは死ぬ迄を良く生きる事を皆に説こうとしている点で、孔子と近い。


クリエイターもオタキングEXと同じ様なシステムを取るべきだ、とする主張も、興味深いものがある。
そもそも、クリエイターも教祖的な一面がある。
作品は聖書である。
前から言っている事ではあるが、作品には世界観がある。
世界観はどんな作品にも付きまとう。
世界観とは、著者の理想とする(もしくはそれとは逆の)世界であり、「世界がこうだったらいいよね」と言うものを抜きに、世界観は出ないと思うのだ。
それはある種の教義であり、宗教的な側面なのだ。
オタキングEXのシステムをクリエイターが取ると、その世界観により浸りたい人たちが、その作品の持つ道徳や決まり事を守り始める。その中心にいるのは著者だろう。
そうなると、クリエイターはもはや教祖(死を考慮しないと孔子)となるだろう。


ここまで書いて、教えのうち、死を考慮しないのが学問で死を考慮したのが宗教なのかな、と思った。


個人的には、一人一人が教祖になればいいと思う。
つまり、色んな作品を読んだり経験をして、自分なりの価値観を形成するのがいいと思う。