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スマホアプリ「コインパズル」開発者の日記https://bit.ly/35gpWAB

地元の廃れっぷりにビックリ!

年末年始、地元に帰り、北九州は寂れた、とか自分が言っても親が反論しなくなった。
人口は100万人を割り、スペースワールドは廃業に追い込まれ、日本のデトロイトと書いているブログも目にした。
地元の友達もほとんど、北九州にはいない。
流石にいたたまれない気持ちになって、何で北九州はこんなに廃れたのか、と考えてみる。


お正月、ブラタモリを見ていると、江戸時代はどこの地方都市も結構発展してたんじゃないかと感じる。
それは人々が藩と言う縛りから簡単には出られなかったからではないか。
人は自由になると大都市に向かう。


あるいは、藩の殿様が江戸ぶっつぶすぞ、くらいの気持ちで政治をしてたからじゃないだろうか。
日本では絶対に内戦は起きないだろう。
しかし、内戦が起きるくらいの国は内戦を起こせるくらい地方が発展していて、そう簡単には首都に引っ越したりしないだろう。
つまり、地方に魅力があるからこそ、内戦も可能なのだ。


また、地方の首長も権力闘争に参加せざるを得ない。
江戸時代を振り返っても、薩摩や長州など、強力な都市は外様大名が多い気がする。
そう考えると、橋下徹市長の大阪都構想や、翁長知事の国政無視っぷりも、地方の首長としては実に真っ当な事だ。
対して北九州はどうだろうか。
北橋健治さんは市民に人気があるが、若干行儀が良過ぎるのではないか。
彼に国政と戦い、権限を国から奪うくらいの気持ちがあるのか。


江戸時代は260年間も続き、地方は十分に発展していた。
江戸時代はブラック企業が無かったと言う書籍もある。
そう考えると、江戸時代はユートピアだったのではないか、とすら思えて来るが、資本主義に洗脳されたのか、江戸時代に戻りたいとは思わない。
都市への一極集中は資本主義の成れの果てだと思っている。
地方再生をするためには国を分断するしかないのか。
はたまた、グローバル化が進み、世界が一つの国みたいになって、世界のニューヨークみたいなところだけに人が住む様になるのか。


高校の英語の教科書はOne Worldだったけど、今思えば恐ろしいタイトルだ。